室町時代、小栗(埼玉県児玉郡美里村)に文武ともに優れた平満重(たいらみつしげ)という城主がいました。応永年間のはじめ、満重は同士に裏切られ、企ての恐れありと疑いをかけられてしまいました。鎌倉の足利持氏は、すぐさま一色左近将監木戸内匠介(いっしきさこんのしょうかんきどたくみのかみ)に満重を討てと命じました。間もなく城は落城しましたが、満重は主従と共に城を脱出し、商人の姿に身を変えて三河の国に向かいました。相州(神奈川県)の藤沢のあたりで、日が暮れ、満重一行は横山太郎という強盗の家で休むことにしました。盗賊一族はよい獲物がきたとひそかに喜びましたが、庭にいた荒馬を苦もなくのりこなす満重の姿を見て、一筋縄ではいかぬことを知りました。そこで、盗賊達はもてなしの酒の中にひそかに毒を盛り、殺すことにしたのです。 宴会の為に集められた女達の中に、照手姫というたいそう美しい女性がおりました。照手姫は、満重の毒殺の計画を知ると、密かに満重に告げました。満重は病気と偽って酒を拒みましたが、むりやり勧められ盃に口をつけると、やがて息断えてしまいました。そして、身ぐるみを剥がれて、お共の者の死体と共に上野が原に捨てられてしまったのです。 その夜、太空上人という人が夢の中で閻間法王の使者と合い、満重が毒殺されたことを知りました。そして"満重は蘇生し、熊野の湯で全快する"とのお告げを受けました。上人が不思議に思い上野が原に行ってみると、犬や鳥が屍を食い荒らしておりました。わずかに動く満重を見つけて手当てをしましたが、死んでしまったので、閻間堂の側に埋めました。その後上人は再びお告げを受け、死体を掘り起こしてみると、なんと満重は生き返っていました。そしてお告げどうり温泉で全快した満重は照手姫を迎えて共に暮らしました。美女谷温泉は、この照手姫の出生の地といわれ、古くから親しまれてきました。 |
温泉データ | |
泉質 | 重曹泉 |
温度 | 12度 |
効能 | 胃腸病、神経痛、美容 |
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