時は後冷泉天皇の時代、天喜5年(1057年)の11月。奥州の豪族である、安部一家は、足利の軍に追われて各所を点々と逃げ回り、ついに上野国勢多郡東入山里北にあたる、尾瀬の山中深くに逃れました。それから何年かの時がたち、その子孫である阿部貞道は、室町時代になってから尾瀬の性を名乗るようになりました。再び地位をとりもどし、一時期は朝廷に仕えるまでになりましたが、戦いに敗れて再び追われる身となってしまいました。とうとう、貞道親子は尾瀬を逃れてたどりついた後閑村の岩窟で、自害して果ててしまいました。その後、生き残った三男である阿部孫八郎貞次は、諸国をまわり、利根川にそって旅路を進めていきました。しばらく歩いていくと、川岸に湯煙が立ち昇っているのをみつけました。阿部孫八郎貞次が近づいて見てみると、お湯がこんこんと湧きだしていました。阿部孫八郎貞次は、それからその地を永住の地と決めて住みつき、「ゆのひそ村」と名付けました。その後、ゆびそと呼ばれるようになり、今日に至っているということです。なお、本家旅館の当主が、この阿部氏の子孫であります。 |
温泉データ | |
泉質 | 単純泉、含石膏苦味泉 |
温度 | 50度 |
効能 | 婦人病、リューマチ、神経痛、胃腸病 |
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