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徳川時代、大名の中にも病気などの療養のため、湯治にでかける者がいました。いかに大名といえども、勝手に出かけることはできません。大名達は、幕府に許可をもらわなければなりませんでした。例え将軍の息子であろうと、御三家であろうと許可は必要でした。 この許可というのがまた厄介なもので、ごく一般の大名ともなれば、面倒臭い手続きを山程行わなければなりませんでした。更には、許可が下りるまでに非常に長い時間待たなければなりませんでした。様々な手続きを経た後、幕府の重役達が将軍の御前に集まり、会議を行うのです。そしてこの会議で将軍の上意が下されて、ようやく出かけられるのです。 さて、許可が下りるとようやく旅支度に取り掛かるのですが、大名湯治のお供には、 御供目付を始めとして、御代官、御手代、御茶頭才領、御普請方など百人を超える家臣が付き従います。それに、ある程度の長逗留になりますから、用意する物も山のようにあるのです。今の時代のように、”静かにひっそりと”という訳にはいきませんでした。行く方も、行かれる方も大変な事だったのです。 |
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